JALTの歩み [in Japanese]

全国語学教育学会[JALT]の簡単な歴史です。

語学教師のための協会を設立する構想は、1975年に小田原市で開催された語学会議に端を発しています。教師たちが互いの指導方法について率直な意見を交わしあったこの集まりが今日のJALTの原点となりました。JALTは学会設立のための様々な土台作りを始めたこの年を創立年としています。

1976年、トム・ペンダーガストがJALTの初代理事長に選任されます。関西地域の五十名ほどの語学教師によって結成されたKansai Association of Language Teachers (KALT)を基にした団体は、以後二年のうちに会員が増加し、運営陣はより厚みのある組織体制にすべく、理念や目標を着々と具体化していきました。

JALTの創始者として、他にデイヴィッド・バイシナとダグ・トムリンソンの名前があげられます。彼らは1976年に東京でKanto Association of Language Teachers(KALT)を立ち上げました。時を同じくして、チャールズ・アダムソンが名古屋でTokai Association of Language Teachers(TALT)を立ち上げました。1977年にはこの3組織のリーダーが集まり、年次大会実施の決定と3支部(関西、関東、東海)からなるボランティア・非営利団体としてJALTの定款・細則を取りまとめました。 同時に、JALTはTESOL (Teaching English to Speakers of Other Languages)に正式提携団体として加入します。1978年には、1975年以来KALTのメンバーであったマリー・ツルダが中国(広島)支部を立ち上げ、この時点で日本国内のJALT会員数はおよそ1,000名を数えました。 その後、1978年に西日本(福岡)支部と四国支部が結成され、1979年には東北(仙台)支部と北海道支部、1980年には京都支部と沖縄支部、1981年には長崎支部、1983年には浜松支部、神戸支部、岡山支部、1984年には松山支部と横浜支部、1985年には千葉支部、静岡支部、徳島支部、山形支部、1986年には茨城支部、大宮支部、群馬支部、1987年には新潟支部、金沢支部、福井支部、長野支部、豊橋支部、諏訪支部、西東京支部、1988年には鹿児島支部、1989年には姫路支部、岩手支部、奈良支部、栃木支部、1990年には山口支部、1992年には秋田支部、1994年には福島支部、1995年には北九州支部、高知支部、東北海道支部、1996年には宮崎支部と熊本支部、1999年には岐阜支部、2005年には東四国支部、2006年には和歌山支部、2009年には大分支部、そして2014年には鳥取支部が加わりました。この間、支部の統廃合や名称変更(諏訪支部と長野支部は1998年に統合して信州支部になり、大宮支部は名称を埼玉支部に変更)、さらに地域ごとの統合(鹿児島支部と宮崎支部は2014年に南九州支部となり、2015年には長崎支部が加入)があるなどして、現在は32の支部が活動しています。

学会の成長と新たな支部設立の可能性を認識したJALTは、1979年から様々な改革に着手します。まず、デイヴィッド・バイシナが編集長を務めるThe JALT Newsletterを月刊誌とし、さらにナンシー・ナカニシを初代編集長に迎え研究誌The JALT Journalを年2回発行するようになります。 この時期、日本のある著名な教育者から、JALTをふたつの組織に分割して、一方を外国人専用に、もう一方を日本人専用にしてみてはどうかという提案がなされました。ひとつの組織でいるよりも、言語別にふたつの組織に分かれて作業をおこなった方がコミュニケーションが取りやすいという発想からの提案でした。しかしJALTはこれまでの方針を変えることなく、全ての教師、専門家、語学教育に関心のある学生たちに開かれた組織として、ひきつづき国籍、勤務地、学習地、指導する言語の種類を問わないこととしました。

同じく1979年にJALTはIATEFLの提携団体となり、アメリカのTESOLやアジア地域のESL団体とも協力関係を深めていきます。現在JALTはタイの TESOL、台湾のETA-ROC、フィリピンのPALT 、韓国のTESOL、ロシアのFEELTA、カンボジアのTESOL、Linguapax Asia、マレーシアのMELTA、インドネシアのTEFLIN、バングラデシュのBELTA、ネパールのNELTAと国際パートナーシップを組んでいます。 日本国内では、言語系学会連合(UALS)の役員会の一員として籍をおき、その他に全国JETプログラム参加者の会(AJET)、小学校テーマ別英語教育研究会(ESTEEM)、異文化教育研究所(JII)、English Teachers in Japan (ETJ)とパートナーシップを組んでいます。

1983年にはThe JALT Newsletterに日本語の記事を増やすべく、北尾謙治を日本語編集者として迎え、1984年には誌名をThe JALT NewsletterからThe Language Teacherに改称し、その後も月刊誌として発行を続けました。これはTESOLやIATEFL等の言語教育機関と比べても稀なことです。当時の語学教育団体の中で、JALTが唯一月刊誌、年次国際大会ハンドブック、年2回のThe JALT Journalを発行していました。 2009年に入ると、ウェブ出版の簡便さが注目されるようになり、出版委員会はThe Language Teacherを隔月刊誌とし、代わりにより素早い情報の発信はウェブサイト上で行うようになりました。

JALTの活動に携わる日本人会員の数は年々増え続け、1985年の京都大会ではヨシダカズオが日本人会員で初めて年次国際大会共同企画委員長を務めました。1989年には岡山県のノートルダム清心女子大学で年次国際大会を開催しましたが、これは関東・関西・東海地域以外での初めての大会開催となりました。この頃までに大会期間中に催される食事会や様々な親睦パーティーは、大会における社交イベントのハイライトとしてすっかり定着しました。 JALTはこれまで本州と四国・九州を合わせて44回の年次国際大会を開催してきました。内訳としては、東京開催が7回(1978年、1981年、1984年、1987年、2007年、2008年、2011年)、静岡が7回(2000年、2002年、2003年、2005年、2009年、2015年、2018年)、名古屋が6回(1977年、1980年、1983年、1995年、2010年、2016年)、京都が3回(1976年、1979年、1985年)、大宮が3回(1990年、1993年、1998年)、浜松が3回(1986年、1997年、2012年)、神戸が3回(1988年、1991年、2013年)、北九州が2回(2001年、2006年)、つくばが2回(2014年、2017年)、大阪が1回(1982年)、岡山が1回(1989年)、川越が1回(1992年)、松山が1回(1994年)、広島が1回(1996年)、前橋が1回(1999年)、奈良が1回(2004年)となっています。 今後は2019年に名古屋市のウインクあいちで、また2020年にはつくば市で開催される予定です。

1988年には、アジアン・スカラー・プログラムを開始しました。このプログラムは、アジア各国の語学研究者を日本に招き、日本の語学教師と交流を深め、JALT年次国際大会で発表してもらうことを目的とし、加えて日本各地の支部をまわって発表をしてもらう「Four Corners ツアー」に招待するというものです。 本プログラムは姫路支部の元代表で「教師による教師のための研究部会」の代表でもあったビル・バルサモに敬意を表し、2008年に名称をバルサモ・アジアン・スカラー・プログラムに改称しました。 プログラム開始以降、研究者として来日したアジア各国の語学教師は、中国とベトナムから各4名、フィリピンから3名、カンボジア、ラオス、インド、マレーシアから各2名、ロシア、パキスタン、インドネシア、韓国、バングラデシュ、タイから各1名を数えています。

2014年には、さらに多くの優れた研究者をJALTの大会に招くため、人々に慕われたJALT元理事長ケヴィン・クリアリー(故人)にちなんで、Kevin Cleary Invited Speaker プログラムを設立しました。初回の受賞者はMa. Milagros Laurel (フィリピン)、2015年はKen Urano(日本)、2016年はDebbie West(フランス)、2017年はFumiko Murase(日本)、2018年はMehrasa Alizadeh(イラン)が続きました。

1990年代にはさらに多様な変革がもたらされました。まず1992年に東京にJALT事務局を設立し、事務局長として藤尾純子を迎えました。当時JALTの資産は4,400万円を超えていましたが、その後のバブル経済の崩壊で、他の組織同様JALTも経済的困難に直面しました。いくつかの問題点を挙げるならば、出版コストの増大、大会開催規模の拡大により通常の大学施設よりも割高な商業施設を利用しなければならなくなったこと、JALTをサポートしていただいている教材出版社の合併、JALT刊行物の広告収入の激減などがありました。 さらに会計処理の不備やバブル崩壊を原因とする失業で、語学教師であったJALT会員も大勢母国に帰国し退会者が続出したことから、JALTの予備資金はほぼ底をつき、いよいよ経済的に深刻さをきわめることとなりました。 そんななか、財務担当理事は、財務運営委員会の協力を得ながら、JALTの財政システムを再構築していきました。そのおかげで、ミレニアムを迎えると財政状態も改善し、再び黒字経営に戻すことができました。 2001年には、財務担当理事の負担を軽減する目的で、外部から会計士を起用し、財務システムを現行のシステムに変更しました。

分野別研究部会(N-SIGs)の結成は1990年から始まりましたが、初期はバイリンガリズム研究部会とビデオ研究部会のふたつのみでした。しかし時をおかずしてグローバル問題と言語教育研究部会が発足(1991年)、その後日本語教育研究部会、チーム・ティーチング(のちの中学・高校外国語教育研究)部会(1992年)、教材開発研究部会、コンピューター利用語学学習研究部会、大学外国語教育研究部会(1993年)、教師教育研究部会(1994年)、教育におけるプロフェッショナリズム・運営・リーダーシップ研究部会、児童語学教育研究部会、試験と評価研究部会(1996年)、ジェンダーと語学教育研究部会、英語以外の外国語教育研究部会(1999年)、語用論研究部会(2000年)、生涯語学学習研究部会(2005年)、海外留学研究部会、多読研究部会、教師による教師のための研究部会(2008年)、言語共通参照枠と言語ポートフォリオ研究部会(2009年)、ビジネス英語研究部会、クリティカル・シンキング研究部会、タスクを基にした学習研究部会(2010年)、語彙学習研究部会、スピーチ・ドラマ・アンド・ディベート研究部会、言語教育と文学研究部会(2011年)、学校経営者研究部会(2013年)が発足し、現在28の分野別研究部会が活発に活動しています。 2002年からは分野別研究部会主催の年次大会(Pan-SIG)を開催し、毎年場所を変えながら、地方支部との共催でPan-SIG大会を実施しています。 2019年には神戸で、翌2020年には新潟で大会の開催が予定されています。Pan-SIGはPanSIG Journalという研究誌を毎年発行しています。

JALTは、汎アジア連合(PAC)の形成にも先頭に立って参加し、1997年にタイ・バンコクで開催したPACカンファレンスを皮切りに、1999年には韓国のソウル、2001年には北九州、2002年には台湾の台北、2004年にはロシアのウラジオストック、2007年にはバンコク、2008年には東京、2009年にはフィリピンのマニラ、2010年にはソウル、2011年には台北、2012年にはウラジオストック、2013年にはフィリピンのセブ島、2015年にはバンコク、2016年には台北、2017年にはソウル、2018年にはJALT年次国際大会中に日本で開催されました。

1998年に社会貢献活動や慈善活動を行う市民活動を促進する目的で制定されたNPO法を機に、JALTは1999年に特定非営利活動法人(NPO)としての認可を東京都に申請し受理されました。以降JALTはNPOとしての定款と細則に則り、年に2回の総会と3回の執行役員会議を開いています。 2013年には、JALTの将来の計画や発展の指針となるミッション・ステイトメントが執行委員会で採択されましたので、ここにご紹介します。

「全国語学教育学会は、言語教育関係者が交流・共有・協働する機会を提供し、言語学習、教育、及び調査研究の発展に寄与します」

JALTは今後どのような道を歩むでしょうか。 JALTはこれからも会員の皆様への貢献と会員数の増加を目指して進んでいく所存です。またPACカンファレンスや交流プログラムを通してアジア諸国の国際機関ならびにパートナーシップを結ぶ国内団体との関係の強化に務めます。JALTはすべての会員とパートナーの皆様に、末永く最良のサービスを提供することを最重要課題として今後も取り組んで参ります。